旅日記〜原爆と台風とエトセトラ〜
2004年10月25日しょっぱなからケータイをなくし、さらには広島のお好み焼きの店でK−1の藤本に勝負を挑んだりして、
マジでいいこと無い修学旅行。次はいよいよ広島観光に乗り出します。
しかしこの頃、僕の居た広島は、見事に暴風域で雨風が真っ盛りな状態だったので、
徒歩で移動する所とか、流石に旅行会社の方たちもまずいと思ったらしく、
急遽予定をいろいろ変更してですね、屋外で見学するのを全てやめて、
屋内の見学場所での時間をたっぷりととることにしたのでした。
これにより、当初予定されていた”原爆ドーム”や、”平和記念公園”がキャンセルに。
ちなみに、原爆ドームでは記念撮影が予定されており、
さらにさらに、平和記念公園では平和セレモニーなんていう、
原爆でなくなった方たちへの黙祷を行ったりするはずだったのですけれども、
もはや全てキャンセルに。
広島に何をしにきたんだ僕たちは。チクショウ。
・・・っとか思ってたんですけれども、くよくよしてても始まりません。
原爆の博物館へ僕らは足を運びました。
なんかな、すっげぇ風吹いてんの。
バスから外へ出たと単に全員七三分けになった。間違いない、例外なんてあるものか。あの時全員が七三わけになった。
とにかく、皆が皆、飛ばされそうになりながらも、入り口へ。
とんでもなかった。ちょっと油断すれば七三分けのまま一日過ごす羽目になってたかもしれない。
まさに、戦場だった。
でまぁ、博物館の中身といったら意外と興味深くて、
僕的には満足できるところでした。
真面目になってしまうんですけれども、原爆投下後の被爆者の生々しい行動や、
町が壊滅していく様子っていうのは、見ていて、涙が出るほどつらいものでした。
しかし、誰も涙ながさなかったけれどな。僕のクラスメートたちはどうやら修羅の道を歩んだらしい。
さらに、僕の目を引いたのはまだ生存している被爆者の体験談で、
一人3分の講和がボタンを押すとディスプレイに移るんです。
被爆者ってもぅ、ヨタヨタなイメージが僕にはあったんですけれども、
意外とみんな元気でした。
原爆投下地点から0.3キロメートルのところに居た人も喋ってた。
相当すげぇなぁ、って思った。
そういえば、原爆投下直後ってのは、あんまり痛みとか無いみたいなんですよね。
実際、痛くなるのは気持ちに余裕ができてからなんじゃないでしょうか。
皆が皆逃げ惑う中、追い討ちを掛けるように放射線が細胞から破壊していくっていう悲惨さ。
原爆ってのはマジでよくない。アメリカちょっとだけ、嫌いになった。
多分、中国も日本に対して同じ風におもってるんじゃないかなぁ。南京大虐殺とかって。
僕、南京大虐殺とかあんま知らないんだけれど、
こういうのも、詳しく日本人は学ぶべきじゃないかなぁって思う。
なんにしても、中国は民族的なところで、”自意識過剰”なところがあったりなかったりするじゃない。
あんまりよくないとおもうなぁ。
とにかく、大きく話は脱線したのだけれども、
原爆の博物館。僕だけかもしれないけれどもすごい、心打たれるところだった。
マジでな、みんな行って見るといいよ。原爆のアレな。
次は実際に被爆者の方が講和をしてくださいました。
次回へ続く。
マジでいいこと無い修学旅行。次はいよいよ広島観光に乗り出します。
しかしこの頃、僕の居た広島は、見事に暴風域で雨風が真っ盛りな状態だったので、
徒歩で移動する所とか、流石に旅行会社の方たちもまずいと思ったらしく、
急遽予定をいろいろ変更してですね、屋外で見学するのを全てやめて、
屋内の見学場所での時間をたっぷりととることにしたのでした。
これにより、当初予定されていた”原爆ドーム”や、”平和記念公園”がキャンセルに。
ちなみに、原爆ドームでは記念撮影が予定されており、
さらにさらに、平和記念公園では平和セレモニーなんていう、
原爆でなくなった方たちへの黙祷を行ったりするはずだったのですけれども、
もはや全てキャンセルに。
広島に何をしにきたんだ僕たちは。チクショウ。
・・・っとか思ってたんですけれども、くよくよしてても始まりません。
原爆の博物館へ僕らは足を運びました。
なんかな、すっげぇ風吹いてんの。
バスから外へ出たと単に全員七三分けになった。間違いない、例外なんてあるものか。あの時全員が七三わけになった。
とにかく、皆が皆、飛ばされそうになりながらも、入り口へ。
とんでもなかった。ちょっと油断すれば七三分けのまま一日過ごす羽目になってたかもしれない。
まさに、戦場だった。
でまぁ、博物館の中身といったら意外と興味深くて、
僕的には満足できるところでした。
真面目になってしまうんですけれども、原爆投下後の被爆者の生々しい行動や、
町が壊滅していく様子っていうのは、見ていて、涙が出るほどつらいものでした。
しかし、誰も涙ながさなかったけれどな。僕のクラスメートたちはどうやら修羅の道を歩んだらしい。
さらに、僕の目を引いたのはまだ生存している被爆者の体験談で、
一人3分の講和がボタンを押すとディスプレイに移るんです。
被爆者ってもぅ、ヨタヨタなイメージが僕にはあったんですけれども、
意外とみんな元気でした。
原爆投下地点から0.3キロメートルのところに居た人も喋ってた。
相当すげぇなぁ、って思った。
そういえば、原爆投下直後ってのは、あんまり痛みとか無いみたいなんですよね。
実際、痛くなるのは気持ちに余裕ができてからなんじゃないでしょうか。
皆が皆逃げ惑う中、追い討ちを掛けるように放射線が細胞から破壊していくっていう悲惨さ。
原爆ってのはマジでよくない。アメリカちょっとだけ、嫌いになった。
多分、中国も日本に対して同じ風におもってるんじゃないかなぁ。南京大虐殺とかって。
僕、南京大虐殺とかあんま知らないんだけれど、
こういうのも、詳しく日本人は学ぶべきじゃないかなぁって思う。
なんにしても、中国は民族的なところで、”自意識過剰”なところがあったりなかったりするじゃない。
あんまりよくないとおもうなぁ。
とにかく、大きく話は脱線したのだけれども、
原爆の博物館。僕だけかもしれないけれどもすごい、心打たれるところだった。
マジでな、みんな行って見るといいよ。原爆のアレな。
次は実際に被爆者の方が講和をしてくださいました。
次回へ続く。
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