気休め
2006年11月19日相変わらず溝におちて転倒したり最近は痔にお悩みになるなど、ついてない日々が続いております。なんかしらんけどついてない。別に全てがうまくいかないわけではないからいいんだけれど、正直凹む。
こういう時は宇宙のことを考えたりして、1億光年ってどんな距離やねんとか考えたりすると、「今の自分はどんだけちっぽけなんや」とか思って、まぁ、多少の気休めにしてるんだけれど。
気休めといえば、宗教も僕にとっては気休めな気がする。結局のところ、人が死んだりしたとき、又はとてつもない不幸がおきたとき、精神の拠所を神、仏においてあるんじゃないかと。確かに僕は神様を信じることで幾度と心が救われたから、まぁ、それはそれでそこに神様と仮定された何かがあるのかもしれない。それが本当に神様でもなんでも、どうでもいいけど。
まぁ、ややこしいからそれは置いておいて、最近夜中寝れない時は哲学的なことを考えるようになった。大学へ入って哲学を受講した影響かもしれないが、真面目に生きることについて考えたりする。恥ずかしすぎる。まさか自分でこんなに考えれるとは思わなかったりする部分もあり、嬉し恥ずかしな感じなんだけれども。
考えたらきりがないことなんだけれど、生きるってなんなんだろな。今の僕には、生きることが全てで、それは僕だけに限らず皆がそうなんだけれども、要するに僕だけじゃなく、人間全体にとって生きることが全てなわけで。
そう考えると人間に良し悪しもないんじゃないかなって思える。どんだけ教養のない人間でも、どんだけ人に嫌われたとしても、ここで生きていることが全てで、生きていることだけで人間は満点なんじゃないかと。
ここにきて社会を垣間見はじめる歳になった僕ですが、資本主義社会で、、、まぁ、なんだ、競争する社会構成で、善悪関係なしに社会的に上にいける人はいけるし、負ける人はまける。
昔までの自分はその人が例え人道的に間違ったことをしていたらものすごく軽蔑したが、最近は案外、その人が生きるために最善を尽くしたのならば仕方がないと思うようになった。
そりゃ誰だって生きたいもの。人間やりたいもの。
でもまぁ、人から奪うより共存を選んだ方がいいわな。
ただ、その理想を説いた社会主義を失敗した人間はそこまで美しくないのかもしれない。
こういう時は宇宙のことを考えたりして、1億光年ってどんな距離やねんとか考えたりすると、「今の自分はどんだけちっぽけなんや」とか思って、まぁ、多少の気休めにしてるんだけれど。
気休めといえば、宗教も僕にとっては気休めな気がする。結局のところ、人が死んだりしたとき、又はとてつもない不幸がおきたとき、精神の拠所を神、仏においてあるんじゃないかと。確かに僕は神様を信じることで幾度と心が救われたから、まぁ、それはそれでそこに神様と仮定された何かがあるのかもしれない。それが本当に神様でもなんでも、どうでもいいけど。
まぁ、ややこしいからそれは置いておいて、最近夜中寝れない時は哲学的なことを考えるようになった。大学へ入って哲学を受講した影響かもしれないが、真面目に生きることについて考えたりする。恥ずかしすぎる。まさか自分でこんなに考えれるとは思わなかったりする部分もあり、嬉し恥ずかしな感じなんだけれども。
考えたらきりがないことなんだけれど、生きるってなんなんだろな。今の僕には、生きることが全てで、それは僕だけに限らず皆がそうなんだけれども、要するに僕だけじゃなく、人間全体にとって生きることが全てなわけで。
そう考えると人間に良し悪しもないんじゃないかなって思える。どんだけ教養のない人間でも、どんだけ人に嫌われたとしても、ここで生きていることが全てで、生きていることだけで人間は満点なんじゃないかと。
ここにきて社会を垣間見はじめる歳になった僕ですが、資本主義社会で、、、まぁ、なんだ、競争する社会構成で、善悪関係なしに社会的に上にいける人はいけるし、負ける人はまける。
昔までの自分はその人が例え人道的に間違ったことをしていたらものすごく軽蔑したが、最近は案外、その人が生きるために最善を尽くしたのならば仕方がないと思うようになった。
そりゃ誰だって生きたいもの。人間やりたいもの。
でもまぁ、人から奪うより共存を選んだ方がいいわな。
ただ、その理想を説いた社会主義を失敗した人間はそこまで美しくないのかもしれない。
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