学力テストからみる日本
2007年4月28日巷では学力テストというのが行われているらしい。
文部科学省が児童の学力を調べるためにのみ行い、それ以外の目的には一切使わないといって始めたテストなのだが、全国で今日それが行われた中、愛知県の犬山市のみこれを拒否したのだそうな。
確かに有り得ない額の水道光熱費やら交通費を使っているお役人の方々を信用できるかどうかっていったら、信用できないと僕は思う。
まぁ、これは僕が勝手に解釈しているのだが、
犬山市が懸念しているのは、学力が調べられると自然と学校の学力的な優劣もわかってしまい結果学力の低い学校などは少子化に伴う統廃合の選択に響く恐れがあるということが一番合理的なのだと僕は思うのだが、こういう全国で一斉にテストすることもできないという事態が起きてしまっている原因っていうのはやはり国にあると思う。何がないって信用がない。お金欲しさに役人をやっている感じにしか見えない。国を考えるのではなく自分自信の保身しか考えれない器なのだから、信用が無くなるのも必然である。
しかし、議員の方たちが悪いかと言われれば、そうではなくその議員の人たちを投票して選んだのが国民なのも事実、突き詰めれば国民が政治に無関心なのが一番の原因である。
これは第二次世界大戦後から言われているユダヤ戦略で、国民意識の低かった日本に突然数百年かけて築かれた政治体制で政治させることによって、国民の意識を遠ざける戦略、いわゆる一億総白雉にしようという計画らしいのだが、現在の日本はものの見事にその術中にはまっている。今の若者の大半は「今が楽しけりゃいいじゃない」という短絡的な思考である。
そこを考えると確かに普通に考えれば誰も関心のない国のことを自分の身を削りながら只管活動するなんてマゾな人はなかなか居ない。関心がない以上名誉もないのだから。
根本的な部分で日本は崩れているのだ。
これを立て直すには、やはり一人一人国に生きているという意識を持ち、選挙で自分で考え、納得した人を選ぶしかない。
そんな地道な努力が今の若者にできるのかといったら、不安が残るばかりである。正直日本は既に手遅れかもしれない。
文部科学省が児童の学力を調べるためにのみ行い、それ以外の目的には一切使わないといって始めたテストなのだが、全国で今日それが行われた中、愛知県の犬山市のみこれを拒否したのだそうな。
確かに有り得ない額の水道光熱費やら交通費を使っているお役人の方々を信用できるかどうかっていったら、信用できないと僕は思う。
まぁ、これは僕が勝手に解釈しているのだが、
犬山市が懸念しているのは、学力が調べられると自然と学校の学力的な優劣もわかってしまい結果学力の低い学校などは少子化に伴う統廃合の選択に響く恐れがあるということが一番合理的なのだと僕は思うのだが、こういう全国で一斉にテストすることもできないという事態が起きてしまっている原因っていうのはやはり国にあると思う。何がないって信用がない。お金欲しさに役人をやっている感じにしか見えない。国を考えるのではなく自分自信の保身しか考えれない器なのだから、信用が無くなるのも必然である。
しかし、議員の方たちが悪いかと言われれば、そうではなくその議員の人たちを投票して選んだのが国民なのも事実、突き詰めれば国民が政治に無関心なのが一番の原因である。
これは第二次世界大戦後から言われているユダヤ戦略で、国民意識の低かった日本に突然数百年かけて築かれた政治体制で政治させることによって、国民の意識を遠ざける戦略、いわゆる一億総白雉にしようという計画らしいのだが、現在の日本はものの見事にその術中にはまっている。今の若者の大半は「今が楽しけりゃいいじゃない」という短絡的な思考である。
そこを考えると確かに普通に考えれば誰も関心のない国のことを自分の身を削りながら只管活動するなんてマゾな人はなかなか居ない。関心がない以上名誉もないのだから。
根本的な部分で日本は崩れているのだ。
これを立て直すには、やはり一人一人国に生きているという意識を持ち、選挙で自分で考え、納得した人を選ぶしかない。
そんな地道な努力が今の若者にできるのかといったら、不安が残るばかりである。正直日本は既に手遅れかもしれない。
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